気胸〜2週目〜

・2010/5/24(月)
この日は両親が見舞いに来てくれました。わざわざ1時間半もかけてきてもらって恐縮。
日曜は大分痛みが激しかったのですが月曜はほぼ通常状態だったので普通に対応できました。
今後もそうですが割りと平気なタイミング(ベッドから立って談話室へ移動できる体調)で
いろんな人が見舞いに来てくれたのは助かりました。
痛くて起き上がれない!みたいな姿を人に見せるのは恥ずかしいと言うよりむしろ心苦しい。
 
痛みが治まったので普通に売店にも移動でき、ジャンプ他を購入。雑誌が溜まり続けていく・・・。
 
この日に始まったことではないのですが、胸に入っている管。
普段は胸腔内の空気を吸っているのですが、ある特定のタイミングで別のものが出てきます。
その特定のタイミングってのが主に排便時。出す(力む)→吹く(前かがみになる)という行為の
どちらが影響しているのかはわからなかったですが、とりあえず吹き終わって通常の姿勢になると
胸の管からドロロロロー・・・・っと液体が出てきます。またその液体がやや赤くて困る。
ただ血液とは違って透明。んー、紫蘇ジュースくらい。ただ量が50mlくらい出るので怖い。
え、出血?力んだから変なところが切れた?と戦慄するくらいのインパクトがありました。
話を聞くと胸水、と呼ばれるものらしくて一度に大量(500mlとか)出ない限りは問題ないとか。
とはいえこの色とこの量。心臓に悪いので何とかして欲しいと思った・・・んだが
鳴れとは怖いもんで終盤は「おーおーたっぷり出たなー」とか無駄に満足気でした。何してる俺。
 
・2010/5/25(火)
内視鏡手術日が確定。明日水曜の夕方頃となりました。
全身麻酔をやると言うことで色々と同意書が必要な模様。つまりまた親にきてもらわなきゃならない。
申し訳ない気持ちでしたがとりあえず来てもらい、全身麻酔内視鏡手術、その他の同意書にサインを記入。
病院によっては親族の承諾、というかこの辺同意書が必要ないところもあるような?
まあ、一応大きめの病院に入院したので決まりごとはきっちり守っておいた方が好印象ではあります。
 
麻酔に関する説明の紙を渡され、麻酔による効果と、それによる副作用の説明及び可能性が書かれていました。
同意書の主はそれ。同意なく危険をはらむ処置をして事が起こったら大変なので事前に同意を得るわけですね。
その説明、副作用が頭痛、めまいなどの軽いものから悪性高熱(40度程度)や誤嚥などの重いもの、
レアケースで術中覚醒など、いろいろなことに書かれていました。
可能性は軽いもので1%〜5%、重いもので0.05%などと書いてありましたが、
別の意味で病んでる自分、確率の世界に生きている身としてはこの辺でかなり恐怖を覚えてしまうわけでして。
普通の人は0.05%とか気にも留めないと思いますが自分にとっては1/2000。
軽いものも含めたら合算1/70とかになっちゃうわけで1回転で引くことはままあるわけで怖いわけで。
無駄に合算なんか計算しちゃダメですね、とここで考えるのをやめましたが確率はまずいわー。
 
この日も特に痛みはなし。手術に向けて万全な状態で臨めます。
手術前ということでこの日心電図を撮りました。心電図なんて中学生以来だわー。
レントゲンを入院患者で一緒に撮影に行ったりするのですが、別の気胸患者(高齢)の方と遭遇しまして、
その人は先ほど言った胸水、つまり赤い液体が液体用のタンク(?)を満杯にして
さらにチューブにまで逆流してました。さすが先輩は格が違うや!
 
・2010/5/26(水)
手術当日。体調は今までで最も良好な状態。この日も痛かったら大変だが安心しました。
当日は朝から絶飲食。ネットで調べたところ浣腸で腸内の便を出す病院も有るようですが
ここはそれがありませんでした。それだけでも結構うれしいですね。
 
腋毛を剃り、体を拭いて患部付近は綺麗な状態に。着々と準備が進みます。
昼頃に両親が到着。なんか全麻手術は誰か一人が常に付いてないとダメなんですって。へー。
談話室で話していたところ前の手術が早めに終わったようで2時間くらい前倒しで開始するとのこと。
患者の心の準備とか全く無視するその姿勢にむしろ感銘を覚えた。まあ医者って忙しいですし。
 
 ――手術2・胸腔鏡手術――
 準備ということで用意するのが下着、前開きの服(所謂ブラウス)、ティッシュ1箱。
 自分も手術着に着替えます。全裸に青いスモッグ(?)のような服を着ます。おまたがすーすーする
 歩ける状態でしたが車椅子で手術室へ移動。この辺からなんか雰囲気が違って心臓ドキドキです。
 
 手術の手続きを済ませ、いざ手術用のベッドへ。
 病院ドラマなどである電灯(大きな丸いベースに6つ電球が付いてるアレ)を見てちょっと興奮したり。
 というかこれ以上ないほどにドキドキしてて麻酔効くのかコレ!?と思う程でした。興奮と恐怖ががが。
 仰向けに寝かせられ、両腕両足に拘束具を着用。ついでにオムツもつけられました。
 頭に脳波測定?か何か分かりませんがパッドらしきものを取り付けます。ちょっとだけ痛い。
 手術前に一本点滴を注入。栄養剤か何かかな?その後色々説明を受けたあと手術開始=麻酔注入。
 普通なら全く寝れるような状態ではないほどの興奮でしたため、どうなるんだろうかと不安な気持ちのまま
 麻酔注入。ん、痛い!何だこの痛み。侵される!何か良く分からないけど麻酔液が侵食してきてる!と
 その浸食されている感覚が腕から肩辺りまで来たところで目が開けなくなり、
 次に気が付いたときにはベッドで運ばれており隣に両親がいました。
 「お疲れ様」と声をかけてもらったのは覚えていますが、近くの看護士?さんが「原因不明の何かが〜」と
 言っていたのがやたら気にかかり「原因不明って何!なんか原因不明の何かって言ってた!」と
 親にとっては完璧に意味不明な事をしゃべってそのまま再び意識が途切れました。今でも謎です、原因不明。
 
再度気が付いたときには別の部屋の角にベッドが配置されていました。口には酸素マスク、
両腕には何かが刺さっている感覚があります。相変わらず胸にはチューブがありがんじがらめ状態。
手術による傷口の痛みは殆ど無く、麻酔がまだ効いているのかなーと思っていました。
後で聞くとこの部屋、ICUリカバリ室と呼ばれる部屋のようで、手術後はここで待機するようです。
1時間ごとくらいに点滴の確認や体温の測定など割と頻繁に看護士の人が来てくれます。
3回目の見回りの辺りで胸の痛みが結構強くなってきたので訴えると「じゃあ痛み止め入れておきますね」と
点滴の辺りをなにか弄ってました。もともと痛み止め用の点滴を用意してた?良く分からないな
因みに、手術開始が15時ごろ、終わったのが19時ごろ(らしい)、時間を意識するようになったのが24時ごろ。
そこから看護士の確認が〜などと言っているということはつまり・・・寝られていないってこと。
傷口の痛みは痛み止め含めて少なくなってきたとは言ったものの胸に不思議な痛みは残っており、
そして両腕に点滴があるため腕もろくに動かせない。つまり寝返り一つ取れない。
まともに動くのは首(酸素マスクが付いてるためコレも不自由だけど)と両足のみ。
そんな状態で朝まで耐え切るのが辛くて辛くて看護士さんに「今何時ですか?」と何回か聞いた気がします。
痛いのも辛かったですがこの1日が一番嫌な思い出になってます。2度と全身麻酔したくないレベル。
ようやく外が明るくなった(気がする)ようで、他の看護士や先生もやってくるようになりました。
聞いてみると両腕の自由も割とあったみたいなんですが全く動かしていない(動かせると思ってなかった)ので
ひじの辺りが痛くなってきていました。点滴の位置すら確認できないのが問題だったよなあ。
先生の回診が終わった後寝たままレントゲンを撮影し、元の病棟へベッドごと移動。
一応「手術」としてはコレで終了。痛みは殆どなかったですね。・・・辛かったけど。
 
・2010/5/27(木)
ベッドが移動してる時点でもう昼過ぎなんですけどね。
この段階で点滴は1本まで減らされました。未だ飲食はNGだったため栄養を体に送るための点滴でしょう。
全身麻酔手術、特に気胸においては「早期離床」というのが効果的らしく、術後早めに歩いた方が
体の為によく、そして治りも早くなるとの事でした。
この日の目標はこの早期離床。ベストは立ち上がって自力で歩いてトイレまで行くこと。
あ、この時点では尿管がささっているため、尿は勝手に排泄されています。気づくまで半日かかったけど。
痛み止めの点滴も抜かれているため胸の痛みも結構強いのですが、「立ち上がるくらいは頑張りましょう!」と
割と無理やりな感じでベッドから起き上がる事に成功いててててて。
看護士さんとしても「まあこれくらいかな」といった表情でしたが自分にはコレが限界。
ベッドから体起こすだけでも辛いっつーの。
しかしまあアレですね、人間頑張ればちょっと位は無理できるので(なんか言い方が悪いな)
看護士や先生に背中をグッて押してもらった方が患者にとっては効果的なのかもしれませんね。
病床に臥せっていると無理したくない、このままで居たい、と気持ちも弱くなってきてますから。
 
というわけでこの日のイベントは立ち上がるだけ。飯も食べられないため寝るほかないっす。
普通の時にはそうでもないですが、痛みが強かったりすると割りと楽に眠れる気がします。
痛いから早く寝てしまえ!と体が判断してるのか、無駄に体力を消耗してるのか、どっちなんだろう。
 
・2010/5/28(金)
まあまあ痛みも収まってきたので、トイレまで歩くくらいなら出来るように・・・なんとかなりました。
・・・クッ!とか言いながら歩く姿はなんというかバトル漫画的ですがそんな事いってられない。
トイレにいけることを確認したので、この日尿管をはずす事になりました。
どうも手術日辺りから看護学校インターンシップ(?)が始まっているらしく、後ろで学生が見学しています。
尿管外すのまで見られるのはさすがの自分でも恥ずかしさを覚えるというか
もう座薬突っ込んだりオムツ取り付けられたりしてるのでもうどうでもいいやという気もしてきました。
しかし病院なので四の五の言ってられないとはいえ・・・学生に見られるのはちょっとゾクゾクするね!
 
ちなみにこの尿管離脱、どこかを切った貼ったするのとは別の感覚で痛い。
事前に会社でも話してたのですが「ふぉぉおぉぉぉ!」って痛み。うん、分かりづらいね。
例えることの出来ない痛みってのはこういう風なのを言うのかなと重いました。
一瞬とはいえ結構痛かったですよ、と次の人に恐怖を与えておこう。
 
尿管を外した後は排泄時に若干痛みを伴うことがありますが我慢してくださいね♪と言われたため
痛いのヤダ痛いのヤダ、と半日以上トイレに行くのを我慢してました。少しでも傷(?)が塞がれば・・・と。
夜ごろに意を決してトイレに行くと・・・痛くない!痛くないよ!安心した!
どうも痛い痛くないは人によるらしいので当たりを引いたと思っておきます。
 
この日、執刀した先生から説明があり、
「ブラ(穴が開きやすい部分)が切除出来るとかそんな数じゃなかったので縫いつぶしました」とのこと。
つまり大きいブラは切除したものの小さい不安要素が大量にあったので縫いまくって塞ぎました、と。
 
で、その結果・・・あの、まだ空気漏れてるみたいなんですけど・・・。
 
てっきり完全に塞がると思っていましたがどうも「縫いつぶした針穴から空気が漏れている」らしい。
むしろ手術前の「大きく息を吐いたときに漏れる」状態よりも悪化してる印象。
声に出してしゃべるだけで空気漏れてるんだもんなあ。日常生活もままならんわコレ。
2、3日すれば穴が塞がるだろう、ということで経過観察期間が開始されました。
 
出来るだけ歩いた方がいい、ということで売店にまでは歩いて終了。
未だに絶食中。ドレーン機材+点滴をオプションで連れて行く格好です。
点滴が付くと一気に病人レベルが上がるなあ。見た目的なヤバさが段違いですね。
 
・2010/5/29(土)
最後の点滴を外し、この日の昼食から絶食解除となりました。といっても痛みで起き上がりづらいこともあり、
あんまり食べることはままならず。寝たきりの人ってのは起きるだけで一苦労って辛いなと実感。
ここのベッドはパラマウントベッドであり、リモコン一つで頭部上げ下げ、足部上げ下げが思いのまま。
特に頭部は最重要で限界(約80度)まで起こすとちょっとフンッってするだけで起き上がることが出来ます。
このベッド考えたやつすげーや。
 
この日、というか2日に1回くらいのペースで洗髪をやっています。
病棟内に風呂部屋と、その横に洗髪室というのがあり、自分みたいな風呂に入ることが不可能な人間は
髪だけは洗えるようにと用意されているわけですね。
洗髪台は所謂理容室なんかにあるアレ。首を差し込める窪みがある洗面台(シャワー付き)です。
シャンプーとタオルは自前で用意、体が濡れないようにするレインコート?見たいなのはあるけど
腕を出す穴がない・・・え、自分で洗えないのコレ。
まあ、タオルを2枚用意していたので片方を首に巻き片方を頭を拭く用に使ってました。
しかし普段頭だけ洗うなんて事していないのでヘタクソですねー。体中びしょびしょ
それでも不快指数がぐっと下がるので洗髪は大事。他の病院も有るんでしょうかね、これ。
 
そして洗髪中は息を止めて、なおかつ腰をぐっと曲げているわけで
ふー頭洗い終わったーと隣のオプションを見てみるとたくさん赤いのが出てました
慣れることは慣れたけど一瞬ドキッとするのは収まらないね、コレ
 
・2010/5/30(日)
痛みもほぼ治まり、普通に歩いて出歩けるところまで来ました。
ただ喋るとコポコポ泡が出ているのは相変わらずで、思わず機材の故障ではないだろうかと思うほどでした。
この日からしばらくこの状態が続きます。
毎日朝に先生の回診がありますが「・・・どうですか?」「いやーまだ出ますねー」「そうですか・・・」という
やり取りを繰り返すことになります。
 
先日、同じ病室に新しく入院してきた気胸患者さんが退院の目処が立ったようで
年配だし病状的に自分よりひどそうだなーと思ってたのが普通に先を越されてしまいました。
自分の(肺の)体力が少ないことにちょっと驚きつつ色々話を聞けたのでよしとしよう。
なんか病棟で話を聞くとタバコ吸ってたけど止めた、って人を良く聞きます。
言うほど影響を及ぼしているとは思えないんだけどやっぱりタバコって体に悪いんですかね。
肺の体力を削ぐ、ってのなら分かるけど他の病気には・・・ねぇ。
 
 
 
とまあ2週目はこんな感じ。
一応一大イベントだった胸腔鏡手術なんですが、受けた身としては全身麻酔かかってたので
余り記憶としては残っていないんですよね。・・・2度としたくないけど
2週目から病院生活も慣れてきたので7時−12時−18時の食事に胃がついて行けるようになりました。
普段は22時以降に夜飯食べてたからなあ。リズムが違いすぎる。
次の週は普通経験しないであろう癒着術のお話を書こうと思います